吉野材移入量

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(2)移出量

 前期の移入量の吉野材は殆ど丸太及び角材の儘主に京阪神地方に移出さるも一部は製材工場に於て割物や板類に加工せられ後再び移出するも当時製材工場は僅か2、3に過ぎなかったから其の数量も又極く小量であった。

 明治40年頃の移出量を金額にして見ると、凡そ1,189,678円97銭。其の内訳は後記別表の通りであるが移出先は杉、桧、樅、栂、松等の丸太及び角材は京阪神から中国へ又大阪を経由して遠くは鮮満方面にまで移出された。

 尚丸太及び角材のほか板類も同方面に移出さるも板類のうち樅、栂の4分板はソーメン箱用として主に香川県に出荷、桧の4分と6分板は漆器の原料として黒江町(現在の海南市)へ出荷された。