武家屋敷

さながら江戸大名旗本屋敷の大路小路をしのばせる姿と変って、武氏の風格もまたお国武士の風を蝉脱し、勢い市町も面目を新たにして活気、横溢、殷賑旧時に倍するに至った。 当時、昌平河岸(今の湊片原通り)の繁盛は、寄合橋詰から南へ凡そ3丁ほどの間夜店、干店随間もなく建て連り、衆人の雑踏繁き有様であった。 旧幕時代には内堀から外濠までの内部はすべて重臣の邸地で、外郭の地は東部の岡、広瀬、北部の宇治、南部の吹上、西部の湊など士邸櫛比し、工商の居は北部の内町、東部の広瀬一部、新町、北新町、西部の湊一部にあった。その他士宅商屋の間雑する所も多かった。 官公衛のうち評定所は郭内今の9番丁にあり、代官所は13番丁にあり、東西町奉行所は今の元