太古の地形

西に退いて小二里辺広野となり、往古の吹上の浜はるか東方に隔絶した。又川筋年々に砂土を流出して二里ヶ浜の洲鼻長く突出してついに大浦辺が川口となったが、この川口又、土砂に埋もれて水流を阻む様になり又、出水に会して今の川口に決した。これが現今の地形である。 故えに大浦を古川口とも言い大浦に注ぐ水軒川を一名、古川とも言う。

“区制改革”と町村の合併
本市は明治初期には、和歌山と名草郡、海部郡の両郡あり、而して此の地区に所属するところは次の通りであった。 (和歌山)・・・吹上、湊内町、岡町、新町、北新町、 (名草郡)・・・宮村、鳴神村、四箇郷村、中之島村、岡町村、宮前村、紀三井寺村、三田村、松江村、貴志村、野崎村、楠見村、有功村、