近世の地形

大正10年11月1日先ず、湊村の一部築地橋から水軒川中央を南方雑賀村界に達する線から東を市域に編入し、引続き各町村と協議した結果、雑賀宮両村は順調に進捗し昭和2年4月1日、雑賀村を合併、一方宮村合併は内務省の方針等から一時難航したがその後交通機関の発達、産業の発展および都市計画区域編入等のためその機運促進せられ、昭和2年11月合併を実施した。 其後、都市計画区域設定と共にさらに隣接町村合併が必要となり、昭和8年6月、鳴神、四箇郷、中之島、岡町、和歌浦、雑賀崎、宮前の1町6箇村を市部に編入、引続き昭和15年4月、湊、野崎、三田の3町村を市域に編入し、同17年7月松江、木の本、貴志、楠見、4ヶ村を廃して市域に加えた。 更に、戦後の30年1月、岡崎村、西和佐村、