「書面申立之趣聞届候尤も今後格別の大木良材たりとも建築のため残し置せ候には不及儀は可相心得事、」明治6年2月28日租税頭、陸奥宗光此の指令に接したる本県は明治6年3月14日大小伐採の禁を解きたり、其令に曰く  各区副区長 宛  私林に生立有之松、杉、桧、栢、槻の6木は願済之上に無之にては伐木不相成処向後願出に不及勝手に伐木差許候事。  但、社寺境内は詮議中に付是迄の通相心得事。  右の趣管内不洩様可相達事。  明治6年3月  和歌山県  此の令及先に布令せる太政官山林払下との影響は今に祥らかになし難きも本県山林の乱伐せられしもの頗る多きと言う。政府又、漸く所在山林の荒廃するを見たりしかば、11年3月15日には内務省布達乙第27号を以て森林の経国に必要なる所以をのべ、植樹の急を唱導し部分木仕分条令を公布せり。  部分木とは樹木なき官有の山野を人民に貸与し地味に適せる樹種を植えしめ、其の幾分を官納し他の幾分を自ら収むるの法なり、本県に於ては同年12月25日部分木仕附願処分順序を定め之を施行せり。政府の方針又は稍山林保護に意を用うるに至りしを以て、本県は15年3月令して民有又は共有林は一般の成規を設くる迄其所属関係を町村間に於て適宜取締をなし申合規約を設けしむ。次て4月民有森林の内水源涵養、土砂押止、風潮除、魚附等の国土保安に関する箇所を調査せり。翌16年民有山林火入に関する条項を定め山火事を防止せんとし、