尚荷主は郷中支配人なるものを和歌山市に滞在さしめ価格運搬その他について常に問屋をけん制し値売りに努めた。
抑々此の郷中支配人なるものは古来山元の大荷主が代理の者を派遣したるに始まり、此の当時吉野各郷より本市に滞在せる人員は小川郷より3人川上郷より3人、中荘郷より2人、西奥、黒滝の両郷よりそれぞれ2人の総計12人にしてそのうち氏名の判明せる者には揚田亀太郎、杉本源七、坂本誠蔵、島田重太郎、宮崎喜蔵、中村治三郎、木谷助七、木村常太郎、井上善国、山本秀太郎、などあり。此のうち最も目先が鋭く商況を察するに敏なるものに揚田亀太郎や宮崎喜蔵などがあった。 これらの郷中支配人は自己の所属する荷主の筏が到着すると問屋と筏の種類や材種を良く検分し大体の相場を定め置き仲買人に販売した。 其の取引方法は概ね次の通りである。
(2)問屋と仲買商
仲買人は木場立する前にあらかじめ自分の希望する筏材種、品質等について良く検分し、