問屋と仲買商の取扱金額

 明治40年の吉野材木組合和歌山事務所の資料によると仲買商の最高取扱高は橘吉右衛門にして金額にして年間79,400円。次ぎは楠本仙太郎の45,000円。第3番目は中谷長蔵の25,000円となっている。然かし実際の取扱高は猶巨額にのぼったものと見られている。資金は最高は50,000円から30,000、20,000円であった。

  尚問屋取扱高を口銭から見ると最高は北村宗四郎の4,540円40銭。次ぎは滝野新次郎の4,290円30銭。中村丈造は639円18銭とはるかに落ちている。

 当時の木材相場は杉丸太2間物で平均才8銭であったから現在の価格にすれば其の取扱高がいかに巨額であったかが伺い知れる。

 参考のため荷主の諸懸りを左に掲載す。諸懸りは川上、小川中荘等各郷に依って異なるも資料の判明せる川上郷について記す。(明治31年吉野林業誌)

荷主の諸懸料金

  川上村特別税 100円に付き5円

  川上郷引 100円に付き60銭

  惣郷引 100円に付き1円20銭

  筏乗賃 1床に付き45銭

  上口銭 1床に付き1銭

  支配料 100円に付き70銭

  懸り物 100円に付き30銭

  問屋口銭 3円(100円に付き3円)

 斯くの如く荷主の諸懸りは非常に多く問屋口銭から筏乗下賃、その他諸懸りをふくむと其の費用は取引高の2割から3割に達した。