ここに於て民部省より先きに達旨した岩出口銀廃止は暫寺猶予するとの達旨これあり候、依って郡中有志、北村又右衛門、永田藤平、土倉庄三郎、大西吉右衛門、伊藤四郎助等相より民部省に直願することを評議し明治3年3月17日奈良県小属、橋本早水と郷中総代伊藤四郎助の両名共に上京し従来の由緒や岩出口銀高税なるため吾が吉野郡民衰頽に落ち入り生活相成し難き旨を訴え直ちに全廃方を上願致し候処、民部省の御採状を得て同年4月両名帰国す。然るところ同年(明治3年)5月2日民部省より南部監督大佐、山本監督小令史の両官実地見分のため五条県へ到着相成り直ちに実地案内被付けられ土倉庄三郎、伊藤四朗助等実地を案内致し5月10日両官らの検分相済みたるところ右両官達ち曰く<兼ねて歎願の赴き最に相候へ条も小官等帰京の上へ評議もこれあり。然かる上更めて奈良県庁へ御沙汰致すべく候>と被仰置き帰京致し候、(注 此の間、和歌山藩と奈良県が対立し一時流下材が極減したと伝えらる)然かして、翌明治4年民部省より全国一斉に口銀廃止致したる旨ね奈良県へ達しあり、依って直ちに奈良県吉野郡中総代と奈良県産物材木用係官等相より官民評議致し左の如く決定致し候。

  <従来和歌山藩に相納めたる口銀1割(材木売高100円に付10円)全廃相成たるについては之が半額の5円也は山林家の取得とし、半額の5円は郡中の撫育其他河川や搬出路の修繕に当て、因て和歌山、大阪両港に於ける材木売却代金100円の内5円を仕切状より引き去り両港の問屋へ相預け置き、和歌山は1ヶ月毎、大阪は2ヶ月毎に産物会所へ取集める事に致し候>と大要以上の如くある。