機械挽製材の設立が盛んになるにつれて各地に於て木挽との騒動が絶え間なく本市に於ても工場主は皆護身用にピストルを持って通い、ついにピストル騒動を起したと笑い話しのひとつとして今も伝えられている。 左記は機械挽製材は漸く盛んになった明治40年前後の本市の製材工場並び機器の設置情況である。
製材業組合の初設立
前記12名の業者がよって和歌山市海草郡機器製材業組合を設立すと記録にあるも設立年代や組織等は不明である。前項の表に基づき機械台数や動力、並び生産量を見ると円鋸は24台、堅鋸は6台の計30台で機械設置総台数の比率から見ると堅鋸が比較的多いのは当時から本市は製函業が盛んであった為である。