木挽と機械挽の生産比率
価格や職工の賃金は不明であるが当時木挽の賃金は1日60銭(米1升7銭5厘)であった。其の木挽の作業能率は普通大貫の場合1日25丁であった。一方、円鋸は大貫にして720丁、板の場合は6分板で150間生産した。従って1丁当りの生産量は木挽の場合凡そ2銭4厘、円鋸は1丁当り1銭と記録にあり、木挽の挽賃は約2倍半につき木挽はいかに非能率的であったかが知れると同時にこの事が製材機の設置気運を盛んにさしめたものとも言える。
腹押しと前取の起源
挽き方の方法については円鋸の場合は昔も今も変りは見られないが、丸太を挽材の一端に乗せ1人は其の材の一端を支持し、鋸の処に押しつけて前進し、他の1人は一部挽かれた材の一端をもって後ろに背行した。腹押しに前取りと言う呼び名は此の作業方法から自然に生まれてきたもので爾来現今に至るも此の呼び名が伝わっている。
当時の1工場当りの職人数は円鋸工場では平均5人にして腹押と前取、各2人、丸太と製品の運搬に各2人、鋸の目立に1人が専属した。
堅鋸工場は前にものべた通り製函用材や仕組板を主に生産したるため円鋸工場とは異って挽板の種類によって多人数を要し、ビール箱やマッチ箱などの仕組板を生産する工場は20人から30人の職工を必要とした。作業時間は各工場とも1日平均11時間から12時間で休日は月1回であった。尚、当時の工場の構造や円鋸の廻転方法等について明治30年5月発行の大日本山林会法に次の如くあるので参考のため追記す。