に旦る高度国防国家の要請を背景としつゝ、国の産業経済計画に追随し、過去の自由主義経済から脱皮し統制経済に移行せんとするものであった。
而して同法に基づき全国1円に先ず林材会社が設立され、本県に於ては昭和16年11月和歌山県林材株式会社が設立され、素材の生産から用材の配給の総べての業務は同社の運営するところとなるも、翌17年各流域別に林材会社を新に設置昭和18年12月地木社が設立されるに至り、流域別の林材会社が支店となり、爾来木材の生産から配給に至るまでの総べての業務が同社が運用するところとなる。此の頃戦況は益々し烈を極め、軍用材の供出は愈々緊急を要するに至った。然しながら戦線の拡大とともに労務者が益々不足し、山元に於ては素材生産に兵員を動員するという様な有様で地木社の運営は殊の他困難を極めた。
一方戦況は此の頃より敗戦色日増しに濃く、サイパン島を基地とする米軍が本土の重要都市を相次いで空襲、本市も昭和20年7月の大空襲により市の大半を焼失するとともに製材工場の殆んどが全焼した。
斯くて昭和20年8月15日、ついに悲劇の敗戦を迎え地木社も事実上解散の情態となった。