移入量漸次減少
この様な悲況を招いた原因は、樺太山林伐採事業商社達の無謀な事業意欲に禍せられたもので、実需の実勢を無視した大量の伐採と移入によるものであるとして、世上の非難が高くなって来た。これにたいし樺太庁は立木払下数量は丸太換算10,000,000石以内であるにかかわらず、市場への移出数量は15,000,000石にも上る事がないと声明を発表したが、かかる大量の樺太材が市場に入荷して一般木材価格を大圧迫している事実をみとめ、樺太庁もついに市場の実況と樺太山林の乱伐の匡正と山林の保護、島内企業の発展の見地から昭和8年樺太林政の改革を断行したので、その後立木払下げ数量は大々的に減少し、出材量も最盛期の3分の1程度の5,000,000石位いに低下、折柄昭和12年日支事変の勃発、続く戦時態勢となり、木材の計画需給が布かれるようになり、過剰移出が解消されるとともに、従来樺太材を主力に扱って居った業者や商社も自然と計画需給のワクの中に限定され、漸次移入量が減少し大正8、9年頃から昭和にかけて市場を支配した流石の北洋材も昭和12、3年頃には全く途絶の状態となった。
北洋材の原木相場(単位100石建)
大正10年8月 620円
大正10年12月 710円
大正11年9月 570円
大正12年9月 590円
大正12年12月 800円
大正13年4月 640円
大正13年7月 470円