小口販売は尺締単位とするも、移入業者と荷受問屋の取引は石建ての79掛けが用いられ、この寸法検量は末口最狭部を引掛式サシを用い検量す。
又、寸検には売買の当事者自からこれをなす場合もあったが、多くは検尺人と称する計量専業者を使用す。北洋材の移入が初まった頃には本市には検尺専業者がいなかったので、大阪の北洋ブローカーと称する奥村氏が主に検尺したが、その後藤田政夫、山形虎一、岡善吾の諸氏等が専業者として従事した。
北洋材は数量が多く海面で寸検する場合が多かったので、水検と称し長鳶で一本宛押し乍ら買方寸検人が立合い売方の検尺人が殆んど目測で、寸面を呼び上げて記帳する方法が採用された。 この目測検尺は多年の経験と鋭敏な感覚を必要とする高度の技術で、実際の検尺と殆んど違いのない正確さを持っていた。
然し若干の個人差やその日の情態によって違いがあり、又検尺人が長鳶で丸太を急速度で押し乍ら、当時独特な符調で、水の流れる様に寸面を連呼されると記入異いを起して、相手方の帳面と合わない場合もしばしば起ったり、検尺人間の意見が合わなく検尺を中止する場合もあった。
当時、北洋材の検尺の符調を次の如く呼んだ。
検尺の呼称