三井物産と三菱商事、其の他葉山商会や田村商会(神戸)等であるが、田村商会は主としてカナダ材を輸入した。当時の米材は主に造船や車輛材が主であったのでこれらの輸入商社は造船所や車輛会社に納入す。

 米材が目立って大量に輸入され且つ一般に取扱われる様になったのは、大正5~6年の第1次大戦の半ば頃からである。これらの初期の時代は、各輸入商社ともに其の取引がオール現金であったが、神戸の宮下木材や外商ダラー社(米国の大会社で船舶を持ちダラーラインと称された)の一手販売となった山利商店や米材産地に直接買いに出た神戸の山長商店その他中川商行、秋田木材等が大々的に活躍するにおよんで現金取引から手形取引が行われる事となり、ここに於て米材の需要は俄かに拡大して、内地材の主産地である秋田を初め、東北各地や、北海道に更に中部、四国、九州と全国にわたって安値で長大な米材の需要範囲を益々拡大するに至った。

  当時の米材は、主に角材の米松が多く、輸出規格はKリストと言って大角と中角は別々で松、栂類の大角は、18インチ上の24フィートから40フィート中角は、12インチ上から16インチ長さ24フィートから40フィートとに大別されていた。ところが、大正12年の関東の大震災によって日本の需要が増大し、大量の輸入買いつけがアメリカに殺倒したので、米国側は従来のリストを低下改正して一段落し且つ大角6割、中角4割を混合し、大中4分6と唱えられる様に規格を落とした。その上に従来のコモン級角材の下にNリストコモンと称する(Nコン)と言う下級の規格を新しく制定した。