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組合員の中には斯様な仲買人を除名せよと強硬論を唱える者すら見えるに至った。

  ここに於て時の組合長小野田庄助氏や当時仲買商の有力者、中谷長蔵平野林平その他有志等がよって此の善後策を協議の結果、先ず荷主の宮崎某なるものと手を握り、同氏の材を優先的に取扱う問屋を市内に設置する事が最も賢明な策であるとの意見の一致を見荷主宮崎氏と話しあいの結果この案に成功、大正13年市内嘉家作りに仲買商全員を株主とする問屋の設立を見るに至った。これが今なお世上に残る(株)大紀商会で社長は中谷長蔵、その他の役員は平野林平、小野田庄助氏等であった。 此の大紀商会は他の?問屋と異って毎月、2回の定例日を定め競争入札による即ちセリ売的な販売組織であった。

 此の大紀商会の設立によって一時混乱を生じたかに見えた市場も漸く平静を取り戻すに至った。

  次に?問屋の移り変りにつれて仲買商も又大きく移り変った。明治時代に有力仲買商と言われた小野田勝太郎、楠本仙太郎、直川政吉、増井吉兵衛、