山田次兵衛、楠見林蔵、松尾忠兵衛、近谷徳吉、池田伊三郎、中西徳次郎、浦島徳五郎、竹原長之助、村上敬一、堀内安彦ら以上十数名の諸氏は休業あるいは製材業に転業した。中でも池田伊三郎氏の如きは全然畑異いの油屋に転業す。又大阪の某有名時計商の養子で一時有力仲買商と言われた増井吉兵衛氏(本名増井源吾)は晩年株に手を出し失敗、ついに不事の死をとげ、当時の一流新聞を振わせたと伝えられている。

 以上の仲買商の休廃業や転業に変って大正期に入り新しく仲買商を開業した者には岡本房太郎、松本庄兵衛、中西新七、楠本政吉、桶辰常次郎、田中清太郎、直川辰之助、上西甚一郎、竹原謙三郎、住江松之助、太田庄兵衛、保富直七、岡田国松その他があり更らに昭和の初期にかけて開業した新人では石井堅蔵、花米三郎、揚田利一郎、小倉勇、植平民三、日高久吉、岡本房春、桶谷武夫、西川光義、神木清吉氏などがあり、大正中期から昭和の初期には左記の如く増加を見るに至った。

木場立仲買商