方面では、手詰浜、安藝、田野、那判利、伊尾木、野根、甲の浦、左喜の浜などがあり、これら積出港のうち量的に最も多い港は、安藝、田野、奈判利の各港であった。これは高知県は昔から官材が多く、安藝、田野、馬道などに営材署が所在し、官材の出材が多かったためである。  更らに積み出し港として、高知より西方面では、須崎、久札、上川口、下川口、下田などがあり、下田より伊予方面に字廻すると宿毛、片島、八幡浜などがあった。このうち最も有名な港は、須田下田にして積出量も太平洋の西海岸方面では最高であった。営材署では、久礼の奥地に有名な大正営林署があり、下田の奥には中村営林署が所在した。

 此の当時の船積みの方法は“灘積(ナダズミ)”と称し、男や女の人夫は近くの海岸まで肩にかついで運び此処でアバ(筏の様な型)に組み沖待ちの機帆船まで引っぱり、船積みするのを常とした。この灘積み作業は此の地方特有の方法で、どこの港にも白装束の男女が大挙し海上には数隻の船が白い帆柱を立て待機する姿は、正に壮観そのもので、維新勤皇の志士、土佐藩は阪本竜馬の海援隊を想わせるものであった。尚、同地方の有名な海送店では、高知では一加海送店(所有船、加通丸他六船)同西方面では広井海送店(津吉丸・栄宝丸)久礼方面では、岩本海送店などがあり、和歌山への船積みを専業とし、和歌山港の荷役は新栄組、丸和組(現在の丸協組の前身)などが行なった。

  当時有力な山主は、須崎方面では三浦材木店、笹岡材木店などがあったが、大半は営林署の入札による官材であった。