(五)輸送と取引方法  

大正初期から、昭和中期に於ける本市の製材品は製函製品を除く一般建築用材は大阪市を中心に、一部神戸から堺市に販売されたが、当時は現今の様な陸送の発達を見ず和歌山港から機帆船で輸送された。

製品は工場の下からサブタと称する80石から100石積みの小型船(偏平型の石炭船)に積み込み、和歌山港の青岸で本船(300石から500石積みの機帆船)に積み替へ紀淡海峡を経て主に大阪の安治川で陸揚げされたが当時本市の売先は主に横堀方面の問屋と小林町で、横堀へは大正橋を経て同所まで機帆船が直航し、小林町へは安治川で陸揚げ荷馬車でそれぞれ運搬されたが此の頃和歌山港から大阪に到着するまでには10数時間を要し、冬は大陸からの季節風、夏は盆をすぎると土用波、秋は本格的な台風シーズンとあって、輸送には常に難航し、ために商況を失する事も又少なしとせず。

 取引方法は毎月20日締切りの翌月5日払いのオール現金を通常とするも、昭和12、3年頃より半金半手若くは60日の手形取引となる。此の間材積計算法も変り、才から石建となる。此の頃本市木材業者の主に利用した金融機関は、43銀行、15銀行、紀陽銀行、吉野銀行等であったが、43銀行は昭和の金融恐慌により同5年8月34銀行に吸収合併さる。