県当局は予算並び諸種の事情から容易に決定を見ず大正13年開らかれた県下の木材業者連合大会に於て時の組合長、小野田庄助氏が此の大会の席上に於て、其の事情を訴え貯木場設置方について協力方要請の緊急動議を提案、幸い本案は同会に於て議決され、続いて大正15年11月6日、日高郡御坊町に於て開らかれたる第4回県下の木材同業組合連合会に再び本組合より(県営貯木場設置に関する件)を提案し、満場一致で可決され、同会より県会に請願書を提出すると共に、当時本市の組合長であり又本県の産業調査会の委員たりし小野田庄助氏は、貯木場設置の必要性について県当局に大いに力説、其の結果県農林部はついに調査に乗り出す事となった。
農林部が調査した結果を本県林業誌の森林利用施設の項に次の如くある。<県内木材都市たる和歌山市に貯木場を新設し、木材集散の円滑を計るは、本県林業発展上緊急を要する事項にして、之が為め木材同業組合は官有地の無償貸与と低利の融資を受け之が経営に当らんとす>とあり、調査の結果、其の必要性が認められ、設置する事を県が決議、議会に答申する運びとなった。而して大正15年12月14日の通常県会に本案が提出され、満場一致で可決されたが、唯実施の時期のみが問題として残された。斯くして昭和に入り、あらかじめ内定した設置場所土入川口(当時海草郡湊村堤外呼ぶ)について再び調査の結果同所に決定したが、然し同地は当時紀の川改修工事と密接不離な関係があり、且つ此の当時西河岸町方面に密集していた製材工場は紀の川改修工事により移転を余儀なくされつゝあったので、県当局はこれを考慮し、これらを同時に解決するためには、