互譲会の反対派  

 当時の仲買商は、40数名にして前記互譲会に加入したる者26名。他は、互譲会の結成を心良しとせず、これに反対を唱える者などもあり、反対派の主流と目くされる者に、上西仁一郎氏や太田庄兵衛氏などがあった。 此の互譲会も吉野材の流下が途絶するに至って自然解散の状態となる。

新町の大火と製材工場の建設許可制度

 大正8年12月16日、午後11時新雑賀町1丁目から出火あり、当夜は西北風強く、火は見る見る燃え拡がり、ついに同町31戸、新堺丁9戸、新通7丁目34戸、新中通5丁目18戸、 同6丁目37戸、木挽丁9戸、計139戸を全焼し、翌17日午前4時に漸く鎮火したが、この火災は安政以来の大火であった。此の出火の火元は、平野製材所であったが為に製材所にたいし、厳重な警告があり、爾来製材工場の建物は、周囲は煉瓦並びコンクリートの様な断熱性のものを使用しなければ建設が許可されない事となった。 其後、消防施設の強化とともに、此の制度が解消されたが、現在市内随所に残る製材工場の煉瓦塀は其のためである。

法人組織の●矢

大正6年10月1日、当時本市木材業界の有志中谷長蔵、平野林平、小野田庄助、中島熊楠、北与平、以上5名の諸氏等によって資本金25万円をもって和歌山木材株式会社(社長、中谷長蔵氏)を設立す。同社は本市木材業界に於ける法人組織の●矢である。