主なる業務は、山林の買付け並び伐採素材の販売市売等であった。 其後、大正年代に於て法人組織として開設せる工場のうち判明せるもの左記の如し。  

大正時代法人組織の工場

  平和製材株式会社

    資本金 150,000円 大正8年12月設立

 中熊合名会社

   資本金 500,000円 大正8年法人に改組

 南海木材株式会社

  資本金 1,000,000円 大正9年4月設立

 南陽製材合名会社

  資本金 25,000円 大正9年8月設立

 株式会社川中組製材所

  資本金 450,000円 大正11年設立

木材市場の開設

 大正9年市内新雑賀町に中西新七氏が、資本金5万円をもって単式による木材市場開設した。これが本市に於ける市売の初まりである。爾来、50有年継業するも昭和42年遂に廃業す。

東京出張所の初まり

 大正12年9月1日の関東大震災による震災復興需要は実にぼう大にして、此の復興需要を目あてに、全国各地より震災地東京に、直接出張所を開設するものが相次いで増加した。 本市よりも、川中組製材所や近安商店が出張所を開設。一時は相当の巨利を得るも、貸倒れや代金回収不能のものが多く、精算の結果は却って不利に終ったと称されている。

賃挽製材の初まり!

  本市に於ける賃挽製材の初まりは、大正の中頃からであるが、吾が国の賃挽製材の初まりは、明治32年秋田県が其の●矢とされている。当時秋田県の能代に才幹をもって知られた井坂直幹なるものが、資本金50,000円をもって特に近代的な工場を建設したが、