するものもあり、今のアロチの花街には丸の内当時からのお茶屋もあるが、丸の内時代150人いた若い、いきな芸者は1人もいない。そして当時良く遊んだ材木屋も、ある者は他界し、ある者は白髪の老人となり、中には左前となり廃業したものもある。
<余談>
箱の起源
箱と言う字を辞書で見ると<箱、筐、管、笈、笥、函>などの字が並んで居り、竹冠のつく字が以外に多いのは、昔はハコに主に竹が用いられたからである。
江戸時代の参勤交代や、東海道の上り下りに良く用いられた挾箱(ハサミバコ)は豊臣秀吉の臣布施久内が考案したもので、これは天びん棒の前後に小箱を2つつけて、1人でかついだもので明治初年まで使用された。
其後文化の進むにつれて、衣服や調度品の格納や書類の伝達に<はこ>の必要が増加するとともに一方工具の発達と収容品の変化による用途上の要求から木材が箱の材料として使用されるに至った。