て行われていた素材生産及び配給その他これに関連する業務の一切であったが、同社が設立されると第一に着手したのは製材工場の整備統合であった。即ち存続せしめる工場と閉鎖する工場である。当時本県の製材工場数は813工場(動力数13.264馬力)内紀の川流域が最も多く、519工場で県下総工場数の約6割をしめていた。当時最も大きな難問題は此の製材工場の存廃であったが、結局次の通りに整備統合す。
先ず紀之川流域では、519工場のうち125工場を存続さしめ残余の394工場約7割の工場が閉鎖されるに至った。次に有田川流域では66工場を26工場に、日高川流域では82工場を、32工場に、田辺地域では64工場を14工場に、日置川流域では19工場を11工場に、古座川流域では21工場を15工場に、新宮川流域では42工場を16工場に、それぞれ整備統合した。動力数も13,264馬力から5,463馬力に縮小された。次表は整備前と整備後の比較対照表である。
製材工場及び設備の存廃状況