以上の如く整備をし、統合された工場は現物出資にて地木社の直営工場となり、それぞれ生産割当てに応じ生産するところとなった。
 ここに於て、従来の個人企業は全く禁止の情態となり、社長や工場主の殆んどが地木社の社員や工員となり、生産業務に専念するところとなった。この事は戦争目的完遂のための手段とは言え、在来の工場主にとってはまさに悲壮な心境であった。
 当時本県地木社の生産や、割当数量についての詳細は資料焼失のためつまびらかではないが、そもそも統制法に基ずく地木社の運営は戦時下に於ける業者の利潤追求を許さないとする軍部の強い要請に基ずくものであったが故えに価格はもとより軍用材や公用材の生産を第一とし、其の量も全生産量の大半をしめ、一般民需材の生産は皆無の情態となる。
 特殊用材の供出
 前記の如く軍用材、公用材の一般用材は地木社に於て生産配給を行なったが、当時充足軍用材、枕木、電柱、樽丸材等の生産は特殊な技術を要したるために、地木社に物資動員材課(物動材課)と称する特別の課を設け特別許可を与えて生産と供給に努力さしめた。
 充足軍用材
充足軍用材は三菱重工業、住友金属 其の他陸海軍の直接軍需工場に必要な木材にして、これには農林省より直接供給割当てがあり、この供出には一定の地域を指定して生産に従事する許可を与えた。本市では大瀬氏他2、3の業者がこれにあたった。尚、国鉄その他の枕木(栗、檜)を農林省より各府県へ割当生産を命じ、必要量を確保した。本県は昭和17年度分の供出は皆無であったため