めが一段と強化された。
金融引締措置と木材緊急安定の両措置策により一時暴騰して木材価格も漸次下降するも此の金融引締措置の結果37年より景気は後退、翌38年から同40年上期頃まで深刻な不況が到来、中小企業の倒産が相次いで発生、倒産総額600億と戦後最高に達し、その中で木材及び関連産業は150億円と倒産総額の第2位と好まざる成績を見るに至った。
此の不況によって、東京や関西の有力問屋は相次いで倒産・休業此の連鎖反應によって本県に於ても、紀南の大手業者が軒をならべて休業、あるいは倒産した。当時手形不渡り等による本県の被害総額は凡そ10億の高額に達した。
この様な事情から本県の木材連合会では昭和40年1月7日緊急理事会を開催し協議の結果、爾後の手形取引においては個人の保証手形を授受することを決議し取引先に伝達す。
当時株式市場が大暴落し、日銀が、山一証券救済のため無制限融資を行い世間を騒がせたのも此の頃である。
此の経済不況は、所得倍増計画の反動と中期経済の循還波動の2つが重なったために不況の度は深く且つ長期にわたったが、昭和40年下期より景気は徐々に回復し、翌41年には早くも”イザナギの景気”と言われる好況を迎へ市況も好転。木材価格も上昇に転じた。
外材輸入量の急増!
此の間昭和37年頃より、各商社は競って外材を輸入すると共に、木材専用船を建造、外材輸入量は急速に増加、昭和45年度の吾が国の外