保富商店等
以上は木材統制法が全廃された昭和25年1月現在の製材工場であるが、その後益々増加、一時その数は百十数工場の多きにのぼった。
内地材全盛時代の内川
杉2間角全盛時代
当時の製材工場の殆んどは円鋸を主機とし主な製品は杉の2角間で4、5下の丸太は柱角に5寸上は中板に生産するも、3寸の丸太で3寸角を中には2寸の丸太で3寸角を挽き、歩止りは100-120%。まるで空気を売る様な情態で当時本市の製剤技術は全国的に大いに高く評価されたものである。
一方、背板や柴の需要は、盛んで200有余にのぼる市内の小割製材所に現金でとぶ様に売れ、近年処理に困っているオガクズは花王石鹸和歌山工場や市内の風呂屋に1ヶ年先金で取引され、オガクズ代で工場の動力費が足りる有様であった。此の頃の1工場平均生産量は1ヶ月凡そ600石から700石、従業員7名~8名、本市の1ヶ年総生産量は700,000石から800,000石、販売先は阪神