特に憲法による団体交渉権、団体行動権の保障によってスト行為による労働争議が相次いで発生、戦前には全く見られなかった苛酷な様想をかもすと共に労使関係は益々困難な事態に直面した。
一方、労働力の供給事情は昭和30年来の高度成長政策と急速な経済の発展につれ、大企業に吸収されるところとなり、中小企業への就職率は低下、其の結果賃金は上昇するところとなり、中小企業に於ては中高卒生を“金の卵”と称する時代が到来するに至った。特に原始産業と言われる木材業界に於てはかかかる現象は顕著にして、若年労務者の就労は皆無の状態で、平均年令凡そ50才と全企業中最高に達している。又賃金も例外にもれず最高に近い。
この事は、戦後木材需要の増大につれ製材工場が急速に増加したが、其の反面工場設備や福利厚生施設が稍々近代化されたとは言え、他企業の如き組織や施設の向上を見るに至らず、依然として原始産業の域を脱し得ず、従って若手労務者は製材業を嫌い他の企業に就労する者や又現に就労中の労務者の中でも背広とネクタイ姿の所謂ゆるカッコの良い他企業へ転業する者の増加を見るに至った。この様な事情から労務者の定着年数並び雇庸促進対策として其の施策の重点を賃金の値上げに置いた。
特に此の傾向は本市に於ては、国産材から外材に転換した昭和38、9年頃より顕著となった。
国産材当時は生産量も少く、殆んどの工場は円鋸1台で1工場当りの平均労務者数は僅か6、7人に過ぎなかったが、外材に転換すると同時に生産量を増大するために設備を改善、あるいは拡大するも、原料は内地材と同様、原資林であるがため