米材輸入と荷役風景
和23年2月27日であった。当時日本は、米軍の支配下にあり、米材の輸入はソ連材についで困難を極め、戦前からの米材輸入業者は、昭和21年春、日本米材輸入組合(現在の日本木材輸入協会の前身ともいうべきもの)を結成して、米材の輸入運動を起こしたが、容易に進駐軍の許可が得られず、漸く米軍の手を経て、輸出鉛筆用のインセンス、シダーの厚板2,078石を積んで、横浜に入港したのは昭和23年の2月27日であった。これが我国に於ける戦後の米材輸入の初まりである。続いて同24年には、アメリカの援助資金により、輸出造船用材として米松の板子と大中角が輸入されたが、当時末だ木材統制時代で、輸入通産省が直接行い、その業務は鉱工品貿易公団が代行するという状態であった。米材輸入が民間の手に移され、自由になったのは、木材統制法が撤廃された昭和25年1月以降である。当時国内市況は、ドッジラインのデフレ政