其後漸次輸入量が増加、最盛期の39年には、13,083立方メートルの輸入を見るに至ったが、其後米材の輸入の増加と台桧の価格の割高等の事情から漸次輸入が減少し、昭和44年以降ついに途絶の情態となった。