貯木場、木材整理場、背後に工場用地を造成する事がほぼ決定的となり待望の貯木場の建設も愈々本格化の段階となった。時に昭和38年、貯木場の建設が愈々決定的となると同時に理想的な貯木場とする必要性から、其の構想を策定するために業界では和歌山木材港整備計画研究会(会長中谷長蔵氏)を設立し、当時第3港湾建設局和歌山港工事事務所長 加川道男、 和木協専務理事山口平内、貯木場設置促進委員井上長治等の諸氏によって数十頁にわたる計画書を 数ヶ月 要し作成した。その内容は昭和45年を目標とする原木の消費量や外材輸入量、港湾取扱量、原木回転並び送量、その他水面施設、陸上施設事業計画、事業費概要等の祥細にわたるものであった。
<建設計画の概要>
 県の計画はこの計画書を参考に概要次の様に計画した。先ず水軒浜東南隅に310,000平方メートルの木材整理場と、その北側に約400,000平方メートルの水面貯木場を設け貯木場の背後に210,000平方メートルの工場用地、整理場の東側にも土地を造成共同荷揚場と一般用地の造成、造成地と背後松林間に南北に通ずる臨港鉄道の布設、一方南港雑賀崎から本港入口西に設けた副防波堤に至る2,000メートル外かく防波護岸、其の内面巾600メートルの水面を木材港として、水深10メートルに浚渫、15,000トン級の大型船舶の入港、並び十数基のけい留浮標の設置8隻の船舶も同時荷役可能の施設、尚貯木場の収容能力は1回700,000石の3回轉の2,000,000有余石等の建設計画であった。次表は当時の港湾審議会の全体計画表である。