組合の沿革
明治23年5月和歌山木場立木材商組合を設立、初代組合長に橘吉右ヱ門氏が選任さる。設立当初の組合員25名、此の組合は本市に於ける木材組合の●矢にして、現在の和歌山木材協同組合の前身である。続いて本組合は明治33年重要物産同業組合法が施行されるにおよび名称を和歌山木場立木材商同業組合と改称す。当時の事務所は市内8番町8番地定款に定められた主なる業務は①売買取引其の他営業上の秩序維持②運輸機関及び商況の調査③記号印章の取締④商業使用人の監督と取締等、尚業務上の便宜のため地区を湊北部、湊南部、新町北部、新町南部の4区に分け、各部に各々総代を置き業務の円滑と本組合の発展を期す。
其の後業者の増加にかんがみ、明治39年6月、和歌山木材同業組合を設立す。本組合の組合員は前記木場立木材商同業組合の組合員並びその他当時本市に於て木材製材業を営む全業者を組合員とし、本組合の組合員総数57名、組合長に橘吉右ヱ門氏が専任され爾来同氏は両組合の組合長を兼務するも、大正11年橘吉右ヱ門氏死亡のため小野田庄助氏組合長となる。
当時業界では北洋材の移入が漸次盛んとなると共に、木場立仲買商の中には製材業に転業する者も見え初め、北洋材を主とする製材業者の増加を見るに至った。
一方此の頃より吉野材の流下が年々減少するところとなり、日高、有田方面の県内材や、四国、中国の県外材の移入が増加。同6・7年頃には北洋材並び県内、県外材が吉野材にとって変る様な状態と