翌22年2月県令第17号をもってその施行期日を4月1日と定め、4月18日から20日にわたり、1、2、3級市会議員各10名を選挙し、5月1日7番丁高等小学校々舎で第1回市会を開いた。 この時、森懋議長に選ばれ、ついで市長候補の選挙を行ない。旧和歌山区長、長屋嘉弥太郎就任す。これ即ち本市初代市長である。 而して同年7月区役所を市役所と改め戦後の憲法の改正により市長公選となり公選初代市長に高垣善一氏が当選、氏は爾来連続4選其の職につくも遂に病没、其のあとをうけ宇治田省三氏市長となり現今に至る。 此の間昭和20年7月9日、10日の両日空襲により市内全家屋の凡そ6割余を灰燼と化しわずかに戦災をまぬがれたのは紀三井、雑賀崎、四ヶ郷、中之島、吹上等の一部で市の象徴として虎伏山頂高くそびえた和歌山城も見る影もなく焼失した。 市は此の戦災を機会に文化的、近代都市として再建すべく遠大な復興計画のもとに、本市の特異性を生かし実態計画の歩を着々と進める一方焼失した和歌山城の再建に着手昭和33年10月1日無事俊工爾来本城を和歌山市の象徴として全国有位の商工業都市として現在の発展を見るに至った。
往昔の地形と変化
今の旧市に於ける繁華地は昔等は紀の川の河口の海に囲まれた離れ島であったが、後海水漸次に退き本陸に接続するにいたった。此の当時の和歌山附近の地形は、紀の川の河口にあたる関係から堤防の備へ殆んどなかった為、出水ある毎に激流奔放決壊をほしいまゝにし地形の変転特に著るしいものがあった。古書によって察するに最も古い和歌