久保、小野町 久保町は一名、公方町と呼び公家方が居住したので此の名が起こる。この町に接して浄土宗寺院海善時があり、開山喬海上人は将軍足利義値公の一族であるため、その緑故で公家方が阿波から当国に来たり。この辺にしばらく滞 在したとのこと、三丁目にオミキ坂、四丁目に城山の小名がある。尚、小野町久保町等の西浜側巾50メートル長さ3~400メートルの地は慶応年間(1865年)紀藩が難民求済のため築造したもので、以前は南方牛町の浜まですべて西河岸と言った。又、以上2町及び小野町の東、内川縁の地は藩時湊片原あるいは昌平河岸と唱へ繁唱雑踏の地であった。