年次生産量

 尚、昭和初期林政史上に特記すべきものの1つとして林産物の県営検査が初まった事であるが、其の消費は過去の戦争に於ける戦時物資統制に足並を揃えていたと言える。  即ち、昭和9年には木材の移出検査を実施し、同12年には木炭の生産地検査を強化し、続いて昭和16年の木材統制の開始による木材検査は終戦後の昭和24年まで続けられたが、其の効果としては県下百数十人の林産物検査員の手によって主要林産物の統計等が把握せられ、本県の林政に貴重な資料を提供した事である。  其後、地方事務所に林務課が設置せられるや当時の林産物検査所はこれに吸収せられた。昭和16年第2次大戦が勃発するにおよび木材、薪炭の生産が急務となり他の事業に充分な手がくだせないまゝに同22年頃まで其の状態が続くに至った。  此のため里山は乱伐せられ裸山は開戦前の6倍に達し加うるに昭和18年の古座川沿岸の山林大火、大辺路線の山火事の跡地は崩壊を初め更に21年12月21日の南海大震災の被害は林地の弛緩、林業の総ゆる施設をも破壊して其後年々打ち続いた豪雨、暴風雨は大洪水となり人畜、耕地、家屋の存続をおびやかすに至り、