原木の儘あるいは一部木挽されて和歌山港から紀淡海峡を経て京阪神から四国・中国・九州、遠くは鮮満から支那方面にまで輸送された。然しながら本市の木材業は漸く商業的組織を確立するに至ったのは明治中期以降からで、特に明治23年木場立商木材組合が設立されて以来、売買取引や営業上の秩序が維持され一方組合員の増加を見ると共に流通機構の充実を見るに至り爾来年と共に活況をもたらすに至った。
斯くの如く本市の木材業は藩政時代に初まり、其の起源は吉野材をもって●矢と解せなければならない。依って本誌はここに和歌山木材史の基礎を形示する、藩政当時から主として明治時代の吉野材から書き初めることとした。
以下流通組織、取引方法、木材相場、入荷量、貯木場施設等の順を追って稿を進める。
(一)問屋と仲買商の制度
藩政当時木材業を開業せんとする者は藩の認可を必要とし、本市では和歌山藩の西御番所(今の元町奉行町にあり)に届出てその認可を得なければ何人と雖ども開業はできなかった。而して其の制度は「座」及び「株」制度で認可を得るには問屋と仲買のいずれかを明記しなければならなかった。此の認可制度は維新の改革によって廃止されたが、問屋及び仲買制度は流通機構の1かんとして近世にまで伝わっている。よって問屋、並仲買制度の起源や座及び株制度について説明を加えておこう。
抑々藩政時代に於ける幕府の商業政策は政治的には中央集権的封建制度と鎖国制度であった。