この様な事情から、吉野郡、川上郷、小川郷中荘郷の業者らが相よって貯木場建設について?々協議の結果ついに起債28,000円を仰ぎ鼠島に沼地五町、葭地二反歩を買うけ筏450聯を収容する貯木場建設に着手。其の後数年の才月を経て明治38年12月漸く完成を見るに至った。

現在、石井堅蔵氏の貯木場がそれである。此の貯木場は当初は紀の川沿いに建設されたものであるが、其の後和歌山港の改修にともない現在の場所に移設したものである。

 尚貯木場の建設を記念して建設碑が建てられている。此の建設碑はみかげ石で高さ約1メートル50センチメートル位であるが、其の中に碑文がきざまれているので参考のため掲載するが、碑文は昔のむつかしい漢文で綴られているので、これを分り易くするために現在語に解約すると大要次の通りである。

建設碑文

吉野郡は大和の国南部に位し、5分国にして3山脈あり連亘郡嶺讃称して村邑其の間に黙綴す。地勢は最も植林に宣しく、これをもって300年以遷居して力を斯業に尽し以て良材を四方に輸送す。是に於てか吉野山林の名天下に宣伝す。郡内の渓流分れて二流となる。南は十津川及び北山と曰い、二流相令して熊野川となり南下して新宮港に注ぐ。西は吉野川と曰い其の源二有り、皆伊勢の国境に発す。一は川上を経二は小川を経て国操に至って相令し、中荘、下市、五条を経て紀之川となり西流して和歌山港に注ぐ。故に材木を伐採するに便にして授筏に編し二流に順いて下し以て新宮、和歌山二港に搬出し更にこれを四方に転輸す。

 而して和歌山港に出すものは10の6、7に居る と言う。