其の河流に順いて下するに当るや往々にして洪水汎濫して良材流失のおそれ無きあたはず而して繋留すること昿白なるや、又商機を逸し巨費を滞らすの憾なきにあらず、是れを斯業の二患となす。即ち貯木池を設け無かるべからざる所以なり。故を以て明治初年以来和歌山の谷井氏の沼地を相借し以て之に充つ、而れども池水狭窄にして数多の授筏を容るる態はず且つ随意改築するを得ず、吉野の人常に惜む、しばし貯木池購入の議有りて未だ果さず。
斯る時露国事端を我に啓く、我皇赫怒して六師出征して戦いて勝ざるなく攻めて取らだるなし、皇威字内に震う。而して露なを驚事を強め弥久の勢有り是を以て聖詔降して堅忍持久以て其終を善くせんことを諭す。是に於て将兵益々奮い以て戦に殉ぜんことを思い臣民は益々其業に力め以て実力を図る、而して所謂興業を記念せんとする者然として各地に起こる。是時に当り吉野郡、川上、中荘、小川の三郷組合員等も亦時運の会するを喜び百難苦して遂に28,000円を起債して沼地5町葭地2町3反を和歌山鼠島に購いて貯木池を設く、この地域の広且大なるこれを浚いて深からしめこれを築いて固からしむ。即ち授筏450聯を容るゝを得べし、ここに於て二患始めて除かれ斯業に益し興起することを期して待つべし、是れ組合員等の其業に篤きに依ると言えども、事の速かになる斯の如き所以のものは実に大昭の煥発に源づく也。好箇の記念事業と謂うべし、今や日露和なり海字粛清なり、然りと雖も興業を致すは当に国家長久の良策なるべし。吉野郡の林業盛んなれば、郡民即ち盛なり、而して事の宣しく改革して更に新なるもの亦鮮からず。