鍛冶橋、大橋など殆ど全市の橋梁を流失。堤防決潰7ヶ所延長80間、死者6人と言う大被害を蒙むった。

此の大水害があって僅かに23日の翌9月11日再び大洪水があり、さきに決潰した仮堰の堤防破れ、流勢は前回よりも激しく浸水家屋9,697軒、全倒潰家屋38軒、流失家屋9軒、浸水被害町村258ヶ町村と前回以上の被害を蒙った。此の洪水によって紀の川や内川に繋留していた木材の殆どを流失、その流失数量は一説によると20万石とも30万石とも傅へられている。

流木拾得賃金定メノ儀

(明治3年5月五条県通達)

徳川末期から明治にかけて吉野材の流下量が増加するとともに、一方紀の川の洪水による流失材も又増加するに至った。ところが流失材を拾得する賃金の定めがなく、荷主と拾得者の間に於て流失材をめぐって、種々な紛争が生じ、中には拾得材を故意に隠匿する不心得者すら出るに至った。そうした弊害をなくし拾得賃金を定める必要性から荷主等がよって時の五条県に申出でたるところ明治3年10月五条県より左記の通りの達しがあった。

吉野材流木捨ヒ賃の儀

川筋海面トモ其土地値段ノ3分ノ1差遺サセ可申候条材木捨ヒ候節ワ早々届出万一心得違致シ候者有之於テハ岐度可申付事 以上の達しあり。(海草郡有誌より)