製材篇

(一)木挽から機械挽製材の発達木挽

本市に機械挽製材所が初めて設立されたのは明治36年である。小倉勇氏が金勇製材所と称し市内御膳松(当時此の地方を海草郡湊村と呼ぶ)に建設したのが当市に於ける木挽から機械挽製材所の初まりである。

  設備は手廻式の円鋸1台と動力は蒸気であった。電力の発達を見なかった此の頃の製材所は動力は蒸気力若くしは水力が利用された。続いて明治38年に市内納定(当時海草郡納定)に宮本安松氏が水力による丸鋸1台の工場の建設し同40年に山本源次郎氏が岡町(海草郡岡町村字塩道)に円鋸2台と堅鋸1台の工場の建設を見るに至った。

  本市に堅鋸が設置されたのは同工場が最初である。堅鋸は1名縦鋸とも呼び板挽きに用いられた。堅鋸には4尺から3尺5寸、3尺、2尺5寸などがあり材の長径によって、そのいずれかを使用し主に製函用に用いられ板を挽くに非常に能率的であった。