紀三井寺7銭、黒江11銭、山東13銭、八軒家7銭、加太14銭、根来22銭とある。所要時間は、和歌山大阪間急行便で6時間普通は8時間ないし10時間を要した。かくして人力車の最盛期には市内各帳場の車台数は5,000台を突破したが、その後電車の開通、自動車の利用によって漸時減少したが昭和5年には未だ176台の営業車と自家用車40台が存在した。
市内電車は明治38年12月和歌山水力電気株式会社(明治38年6月創立、資本金6,400,000円)が赤城友次郎等13名が発起にかゝる和歌山電気軌道株式会社の軌道敷設権を譲り受け、多くの困難を排して明治42年1月23日、先ず西汀町県庁前から扇之芝、小松原通を経由して和歌浦に至る4.65キロメートルの軌道敷設工事を竣工該区間の電車運転を行なったのが市内電車の初まりである。
南海鉄道は明治31年10月22日、大阪難波駅から紀の川北岸の仮設和歌山北口駅まで開通し、36年3月21日紀の川鉄橋の架設成って東蔵前町に達し、全線64.4キロメートルを完成して、和歌山市駅の開設を見るに至った。間もなく当時の紀和線(現在の和歌山線)を和歌山駅(中の島)から市駅に延いて連絡し、同44年11月から全線に電車の運転を見るに至った。
和歌山市に鉄道が初めて開通したのは明治31年5月4日で紀和鉄道株式会社が和歌山駅を那賀郡船戸駅間の運輸を開始したのが●矢である。 加太軽便鉄道はややおくれて明治45年6月和歌山口(紀の川西岸)加太間の運輸を開始す。