〈余話〉

 吉野材の筏東京上野の博覧会に出品

    (明治32年)

 土倉庄三郎氏(吉野郡川上村出身の名士)の伝記によると明治23年3月東京上野で第3回内国勧業博覧会が開かれた時土倉庄三郎氏は吉野林業を公開するため優秀な吉野材の筏2連を出品したとあるので吉野材と密接な関係を持つ本書に参考のため記述す。

 出品された筏は13床のもの1連と11床のもの1連、此の他タル木15年生もの、洗丸太40年生、樽120年生杉打割物150年生、杉酒桶樽140年生、松柾350年生、栂柾500余年生等であったが偉大な筏の出品には見物客を大いに驚かせたとある。当時の運輸事情からすると此の途方もない筏をどの様にして東京まで運んだのかは詳びらかではないが察するに、紀の川口で海洋筏の様に再編成をして、和歌山港から大型帆船で曳航したものと考へられるが、何故え此の様な突飛なことをしたのであろうか、眞偽のほどを疑うほどあるが彼の出品解説書によると次の如くあるので其の一端を左に照会す。

 

這回吉野材木桴出品ノ大要ハ吉野郡ニ於テ古来ノ経験ニヨリ吉野川ニ乗流スル杉桧桴ノ便ヲ示シ以テ内地各国有志諸君ノ参考ニ供シ山林及ビ運輸ノ便ヲ改良ナラシメンコトヲ欲望スレバナリ。吉野川(上流吉野川下流紀ノ川)ハ古来幾多ノ労ヲ費シテ川浚ヲナシ磐石ヲ破壊セシコト容易ナリシニアラズ。于茲現今木材ヲ流送スル実況ヲ告グレバ長30間巾8尺ノ桴(量目概要10,000貫)ヲ運輸スルニ吉野川ノ中央ヨリ和歌山県下和歌山港迄(里