(伊太祁曽神社の由来)

伊太祁曽神社社は西山東伊太祈曾字常盤山に鎮座する。延喜式神名帳に名草郡伊太祈曾神社木国神名帳に名草郡正一位勲八等伊太祁曽神社とあり本社に五十猛命を祀り、左右脇宮に大屋都比売神、都麻津比売神を祀っている。 祭神五十猛命は素盞鳴尊の御子、父尊に従うて新羅国に天降り給い、樹種を播き給うた神で、天下に樹木繁茂するはみなこの神の恩恵であるとて、すでに神代においても有功ノ神と讃え奉ったが、命は播殖の功畢って後、他国にまさって林樹鬱蒼たる木国、紀伊国に鎮りましたのである。また脇殿に祀る大屋津姫、枛津姫2神は五十猛命の姉妹神にましまし、また能く木種を分布せられた神で3神ひとしく出雲国から当国に遷られ、始め秋月の今の日前国懸神宮の社地に宮作りせられたが、垂仁天皇の16年日前国懸大神が毛見浜ノ宮より秋月に遷坐の時、その社地を献じて同神社の神戸の地、山東荘亥の森に遷られ、後700余年を経た大宝2年(702)勅命あって3神を3所に分祀することになり、和銅6年10月初亥の日五十猛命はこの地に鎮座せられ、

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