価格暴騰
この様な事情から特に吉野材の値上りは著るしく、才18銭から19銭と大正初期に比較すると約3倍から4倍の暴騰を見るに至る。 〈倍いの倍いの倍〉の歌が流行したのも此の頃で、和歌山の材木屋には娘を嫁にやれんと言う位昼夜を問わず良く遊んだと伝えられている。然かしこうした好況の時代もつかの間、世は再び暗黒の時代へと逆転した。
大正9年4月、ニューヨークとロンドンの株式市場に大暴落が生じ、世界大戦を契機に、欧米各国の経済と密接な関係を持っていた吾が国はこの波をまともに受け、株価一般物価は暴落すると同時に木材価格も又暴落した。然かし木材価格は一般物価の様に直ちに急落はしなかった。これは大戦後の好況による需要の増加と人口の増加による建築物が急増の傾向にあったためであるが翌10年半ば頃より不況が深刻化するとともに木材価格も又下降を見るに至った。
関東大震災
かかる不況の中に大正12年9月1日東京を中心に関東一帯に大震災が発生、京浜は一瞬にして灰燼と化した。焼失戸数410,000戸、死者及び行方不明138,000人の多数にのぼり大混乱を生じた。
此の戦災による復興需要は実にぼう大なものがあり、木材価格は再び高騰したが、政府はこれを抑制するために勅令によって〈臨時物資供給令〉を発布した。この法律には〈政府は震災地に於ける米穀以外の生活必需品並びに土木又は建築の用に供する器具機械及材料の供給を円滑ならしめる為必要ありと認むる時は当該物資の売渡交換加工若は貯蔵をなし、又は他に売渡を為す事を得〉と