して緊縮財政、金解禁などの施策を実施、堅全財政と不況打開につとめたが、その矢先の昭和4年12月24日突如としてニューヨーク、ウォール街に於ける株式の大暴落は、遂に我が国全土に一大旋風を巻き起こし、日本の経済は立ち直る暇もなくその嵐の中に巻きこまれるに至り木材業界も其の影響をうけて、益々不況となり、そのあげく倒産する業者が全国に相次いで起り、東京の問屋を中心に一瞬にして60数軒が倒産した。幸い本市には倒産する業者も見られなかったが消費地問屋の倒産による影響は甚大であった。

 北洋材の輸移入漸次減少

此の頃米材の輸入について高率の輸入税が賦課されたために、米材の輸入が漸次減少し、一方北洋材特に樺太材はパルプ資源の確保と島内産業保護のため樺太庁は樺太材の島外移出に強度な制限を加え北洋材の移入量は半減するに至った。

 米材と北洋材の減少によって、国産材への依存度が急速に高まり、国産素材は不況にもかかわらず、高騰の気配に転じ内地材を主とする製材業者は原木高の製品安で遂に苦境に落ち入った。

正量取引と木材検査制度の実施

  この様な事情から、ついに製品の規格が乱れ歩切れ品が市場に横行した。甚だしきに至っては4分板と称せられるものの中に、3分内外より2分5厘更に極端なものに至って2分1厘から1分7、8厘のものさえあった。

此の様な製材工場の乱雑振りにたいし大阪や東京の消費地問屋から正量取引が主張され出した。先ず大阪市場では昭和7年から大阪に出荷する主なる生産県と正量品出荷要望の協議を重ねること数回、其の結果各産地では止むなく出荷品にたい