して責任ある機関の検査を申し合せた。然かし依然として分切れ品が後を絶たないために、消費地は公的機関による公営検査の実施を強く要望するに至った。これには産地側も強い反対の意を表明したが、正量取引と言う美名にはいかんとも致し難くついに各府県に公営による検査制度が実施され本県も昭和9年より実施するに至った。当時市況は好転の傾向にあったが検査制度にしぼられ生産者の経営は容易ではなかった。
満州事変の勃発と業界
此の頃大陸に於ては、すでに満州事変が勃発し、政府に於ては満州事変を折り込んだ非常時予算の成立を見、一般経済界の好転とともに木材価格も漸く上昇するところとなり、本市に於ける素材価格は金融恐慌当時の平均相場才3銭2厘が5銭から6銭へと値上りを見るに至った。一方製品価格も又上昇した。
当時の業界の特色は材価率が他の物価に比べ、非常に高くなった事で、戦前に於て木材の高騰率が初めて諸物価の高騰率を上廻ったのは此の頃からである。試みに当時の日銀の木材卸売価格を見ると左記別表の通りである。