近林商店は金比羅丸、戎丸・氏吉丸の3隻を所有し、其の積出し先も四国から阿波、讃岐、備前、尾の道方面に広く積出した。尚、船積問屋は、船積作業の関係などから港に近い西河岸町から綱屋町方面に多く所在す。

 次に上積家は、吉野材の取扱方法等については船積問屋と同様であるが、販売先は大阪市が専門で扱量も比較的少くなく、自家用船は持たず輸送は他船を利用し上積を行なうも上売のほか地売りをも併せて行なった。

  地売家は地元の製材を専門に販売したが、当時本市の製材業の生産量も小量で従って其の扱量も少なく、新町方面に所在した。以上の如く当時の仲買商は同じ仲買商でも船積問屋、上積家、地売家の3段階に区別さる。

(四)旅材の初移入と最盛期

 大正の末期から昭和の初期にかけて吉野材の他に“旅材”と称し、土佐材を筆頭に四国、中国材の移入を見るとともに一方県内では日高、有田、 荷役