製材工場の設備と発達情況
 <大正初期―木材統制前年迄>

 大正期に入っても本市の製材工場の発展は他府県に比較すると非常におくれた。

 当時(同5年)に於ける全国の工場数は別表の通り、2296工場で最も多い静岡の如きは、すでに194工場存在し、製材機も円鋸から帯鋸盤が数十台設置せられていた。 此の頃、本市の製材工場は明治時代に建設された金勇製材所他11工場と大正3年、畑屋敷に設立された中長商店製函工場と、同じく同3年元寺町に建設された広善製材所、同5年宇須の花畑製材所、その他2、3の工場が所在するのみで、生産量も製函製材を除くと、一般製材の1ヶ月総生産量は、3,000石から4,000石で、現在の1工場の生産量にも満たない有様であった。

斯様に本市の製材業の発達のおくれた所以は、当時本市に入荷する原木は、明治時代同様吉野材で、其の殆んどが原木の儘各地方に輸送され、且つその方が有利であった為めである。 本市の製材業は漸く盛んになり初めたのは、北洋材や米材(米杉、米松の大中角材)が入荷した大正8、9年頃からである。 此の頃より、北洋材を原料とする製函製材や、米杉の天井板や米松その他の焼板や一般建築材を生産する工場が相次いで増加を見るに至った。