貯木場所在地(明治ー昭和初期)

一般業者の木材を保管するほか、倉荷証券を発行して、木材業者の金融の便益をはかった。倉荷証券の発行は本市木材業界では戦前戦後を通じ、同社が初めてで木材の保管とともに金融の円滑を促進し、当時の業界の発展に大いに寄与した。 此の貯木場は戦後他に売却され現在は同所一帯は、住宅地になっているが、本貯木場の建設は当時下津港で船内荷役を専門に行っていた浅川組(長井長一氏)の施工によるものにして、此の貯木場建設工事は浅川組が土木建設業界に進出して初めて着手した工事であり、現在の基礎をきずいた第一歩である。  以上は大正から昭和初期にかけて建設された貯木場であるが、此の他に明治時代に吉野の業者が建設した鼠島貯木場や西黒貯木場等があるも、貯木場のみでは収容できず最盛期の昭和10年頃には北洋材や県内材並び県外材が内川に氾濫した。

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