ントが禁止されモンペ姿に、男子は背広から国民服に戦斗帽の姿が見え出したのも此の頃からで、吾が国の政治、経済、国民生活の総てが戦時体制に切り変えられた。
 一方男子の多くは戦場にかり出され、製材工場に於ては工員が不足し、山間部も又同じこと、山林労務者が相次いで召集され、且つ山林は奥山となり伐採搬出は愈々困難となると共に製材品の生産能率も著るしく低下し、軍用材の供出も大きく支障をきたすに至った。この様な事が木材統制を一歩早める結果となり、昭和16年3月ついに政府は木材統制法を制定するに至った。
 余話
 陸軍参謀本部より木材業者への訓示
 <軍用材の納入は普通の商取引と同じ観念ではいかぬ、軍に対する場合は商売をすると言う考え方を変えてもらいたいと思うのである。何故かと言えば商法上から見ればまさしく商売行為には異いはないが、其の精神に於ては商売ではないのである。別の言葉で言えば、自分は商売しているのではない木材を軍に供給することによって、自分も自ら戦争に参加し、戦争の一部分を直接負担しているのである。商売ではなく、戦争へ参加しているのであると言う観念を持ってもらいたいと思うのである。…>これは日支事変たけなわの昭和14年当時の陸軍参謀本部経理部長山本憲一大佐が、軍用材調達について木材業者に発した訓示の一説である。
 此の頃戦争は中国本土に拡大し、満ソ国境ではノモハン事件が勃発、国内に於ては国民精神総動員、国民徴用令の施行、陸軍大将 阿部信行が首