る。
 大体以上のような方針であった。ここに於て企業合同する製材工場と残こす製材工場の問題や、企業合同後の運営をいかにするかという事が重大な問題となった。且つこの事は製材工場の適正規模の問題ともからみあって、種々と論議された。
 その一例をあげると先ず秋田県の如きは県の示した案によれば、全工場数345に対し、残存せしむべき工場即ち企業合同可能工場は200で残余の145工場は規模が小さく能率が悪いとの見解から閉鎖する方針をとった。そこで閉鎖に指定された工場と県当局との間に大きな物議をかもした。此の存廃工場の問題の他に特に問題となったのは、製材の企業合同と同じく木材業の企業合同と、更に木材企業体と製材企業体が二次合同をするのか、それとも別個の立場をとるのかと言う様なことが問題となった。この問題は比較的容易に解決されたが、製材工場の企業合同は愈々合同となると以外に困難な問題に直面した。それは合同に関する資産評価などが困難であった為である。従って製材工場を地方木材会社によって全面的に直営する事や、個人企業の禁止を画一的に実行に移す事などが躊躇されたが、結局地方木材株式会社に属する賃挽工場として同社から素材の引渡を受け製品を会社に引渡し、挽賃として素材価格との差を収得するという委託製材工場方式が多くの場合実施された。其の結果、各製材工場は旧有名を捨てゝ<何々地方木材株式会社第何号工場>と言う名称に変ったのであった。
 企業合同が開始されようとした時の全国の製材工場数は(24,525工場で)動力数は(385,501馬力)であったが、合同後は工場数8、